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水道事業紹介

東京の水道・その歴史と将来

江戸時代の水道

  東京の水道の歴史は、遠く江戸時代にさかのぼることができます。
 江戸時代の水道は上水とも呼ばれ、石や木で造られた水道管(石樋・木樋)によって上水井戸に導かれ、人々はそこから水をくみあげて飲料水・生活用水として使用しました。
 江戸上水の起源は、天正18(1590)年、徳川家康の江戸入府時に開設された小石川上水であり、後に神田上水へと発展したと考えられています。
 その後、上水は順次拡張され、承応3(1654)年には玉川上水が建設され、さらに元禄9(1696)年までに、本所(亀有)、青山、三田、千川の各上水が整備されました。
 しかし、享保7(1722)年、神田・玉川両上水以外の4上水は廃止され、江戸時代の後半は主に神田・玉川の2上水が江戸の暮らしを支えました。

近代水道の創設

  明治時代を迎え、江戸から東京へと変わっても水道は依然として江戸時代のままでした。
 しかし、上水路の汚染や木樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保という観点からも、近代水道の創設を求める声が高まりました。さらに、明治19(1886)年のコレラの大流行は近代水道創設の動きに拍車をかけました。
 こうして、明治21(1888)年、東京近代水道創設に向けて具体的な調査設計が開始されました。
 この水道は、玉川上水路を利用して多摩川の水を淀橋浄水場へ導いて沈でん、ろ過を行い、有圧鉄管により市内に給水するもので、明治31(1898)年12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして、順次区域を拡大し、明治44(1911)年に全面的に完成しました。

拡張を重ねる東京水道

  近代水道完成から2年後の大正2(1913)年には、村山貯水池、境浄水場の建設を中心とする第一水道拡張事業が開始されました。
 関東大震災の後、都市化の波は東京市の近郊に及び、昭和7(1932)年、町営・町村組合経営の10水道は市営に統合されました。また、民営3水道も順次買収し、東京水道の原形が整いました。
 市域拡張に伴って増大する水需要に対応するため、小河内貯水池、東村山浄水場の建設を中心とする第二水道拡張事業が昭和13(1938)年に着工されました。
 戦後は、焼け跡の漏水修繕等復旧作業に全力を傾けるとともに、戦争により中断していた第二水道拡張事業等を再開し、また、相模川系拡張事業等の事業を開始しました。
 昭和30年代、戦後の復興期から高度経済成長期に入ると、東京は急激な発展を示すとともに、水道需給はさらにひっ迫してきました。このため、長年の悲願であった利根川を水源とする新たな拡張事業が開始されました。四次にわたる拡張事業により、金町、東村山の各浄水場の拡張や朝霞、小作、三園、三郷の各浄水場の建設が行われたほか、送・配水幹線網等も整備されました。
 浄水場から配水できる1日当たりの水量が17万m³でスタートした東京の近代水道は、現在では1日当たり686万m³の施設能力を有する、世界有数の規模の水道に発展しました。

東京水道新世紀構想の策定

  水道局は、四半世紀の間に行っていく施策の方向を示した基本構想として、平成9年に「東京水道新世紀構想STEP21」を策定し、これに基づき、貯水池の耐震化や利根川水系浄水場への高度浄水処理の導入、送配水幹線のネットワーク化など、着実に水道施設のレベルアップを図ってきました。
 しかし、「STEP21」策定後おおむね10年が経過しこの間、「安全でおいしい水」に対するニーズの高まりや首都直下地震への対策等が強く求められることになりました。このような社会状況の変化を踏まえ、一層の給水サービス水準の向上、社会・環境保全への貢献など、幅広い視点を取り入れた、新たな水道施設整備の長期構想として平成18年11月に「東京水道長期構想STEPⅡ」を策定しました。
 この長期構想に基づき、積極的かつ着実な事業展開を図っていくとともに、広く皆様に東京水道の目指すべき方向を明らかにして、お客さまと強固な信頼を築き、「世界に誇る安心水道」を目指していきます。

東京水道のめざす方向

  1. 豊かな暮らしを支える水道
  2. 断水のない高水準な水道
  3. 次世代につなげる水道
  4. 地球環境に配慮した水道
  5. 分かりやすく親しみやすい水道
  6. 水道界をリードする水道
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